宮下さん
社員インタビュー
今回の社員インタビューは株式会社EFAラボラトリーズ(以下、EFA)営業部インサイドセールス所属の宮下さん。大学時代のサークル活動のこと、管理部から営業部に異動したときのこと、メンバーにお菓子を配る理由まで、気になる話をいろいろ聞いてみました!

宮下 翔さん
大学時代には合唱サークル活動に励み、飲食店アルバイトや不動産会社での就職を経て、2021年3月にEFAに入社。管理部から営業部に異動し、現在はインサイドセールスの頼れる存在として活躍。
(インタビュアー(高野)のコメントを太字にしています)
■インサイドセールスに所属し、お客様のフロントになる仕事をしています。
──宮下さんが入社したのは2021年3月なので、次の3月で丸4年になりますね。現在は、どんなお仕事をしていますか?
営業部のインサイドセールスという部署に所属 し、主にお客様のフロントになる仕事をしています。お電話での問い合わせ対応、検体のお持ち込み対応、『ログイン業務』といわれるアスベスト分析依頼受付とシステム入力作業、請求書作成などの事務作業がルーティンとしてあります。
──ルーティン以外の業務にはどんなものがありますか?
私は『クイックサンプラーPro』というツールの物販を担当しているので、その製品の販売企画と在庫管理をしています。製品系でいうと、DRIMMC (ドリムク)というアスベスト分析に使用する浸液の担当者も別にいます。使用している社内システムが変わったばかりなので、その手順書やヒヤリハットリストの作成もしていますし、他のメンバーの作業に対するチェック、新入社員へのOJTなどの業務もあります。
── 一日の流れでいうと、どんな感じでしょうか?
EFAは時差出勤をおこなってるので、出社時間にはバラツキがあります。8時から10時までに出社ということになっていますが、私は10時頃に出社することが多いですね。反対に、早く出社したいメンバーもいるので、電話がなり始める9時には早出メンバーが対応しています。午前中に郵送物が届くので、届いた検体の量でその日の仕事量を把握して、検体が届いてから夕方くらいまではログイン業務をします。ログイン業務はメンバー全員で分担して対応しています。その後各自で持ってる仕事に取り掛かる感じです。電話や来客の対応はその都度おこなっています。
──11月にあった展示会も、インサイドセールスが 舵を取っていましたね。私も展示会当日に会場にいたのですが、営業部一丸となって取り組む姿勢にとても刺激を受けました。
今年の展示会のプロジェクトリーダーは、インサイドセールスの川住さんだったので、私は準備や当日のサポートという形で関わっていました。展示会終了後には、EFAのブースにお立ち寄りいただいたお客様へのフォローアップをメンバー全員で行いました。
──フォローアップというのは、名刺を交換したお客様へのお電話ですよね。宮下さんは架電のときにどんなことを心掛けていますか?
正直、架電が好きというわけではないので、「やるしかない」という気持ちはあります。でもマイ ナスイメージを持たずに取り組むように心がけているので、苦手だとは思っていません。
──私も人と話すのは好きですが、架電するとなると緊張します・・
ですよね。ただ、EFAの架電は『アポを何件取る』というようなノルマはないですし、そもそも展示会に来てブースに立ち寄ってくれて、名刺まで交換してるお客様への来場お礼のお電話なので、興味を持ってくれてるというのがわかっている分かけやすいと思います。私は「これ言わなきゃ!」と気負わずに、まずはお客様の話を聞こうという気持ちで取り組んでいます。
──架電と聞くと、ノルマがあるような飛び込み電話を想像しがちかもしれないですね。
私は前職が不動産営業だったのですが、それこそ全く接点のないお客様へのお電話もしていたので、それに比べるとハードルはとても低いと感じます。

業務中の宮下さん。
■前職は不動産会社。請求書作成からゲストハウスのベッドづくりまで、色んな経験をしました。
──前職の話が少し出ましたが、EFAに入るまで何をしていたかを教えてください。
私は北海道出身で、大学も札幌の大学に通っていました。色々あって卒業はせず中退をしているんですが、大学時代には合唱サークルに所属して100人くらいいる団体を引っ張っていました。
──100人!すごいですね!
もともと自分の性質としては、リーダーシップをもって主体的に動くことが得意なんです。メンバーによって自分がサポートに回った方がいい場合はそういった動きをしてきたので、いつでも先頭に立ってたかというと、そうではないんですけどね。俯瞰してチームを見て自分のポジションを考え、チームを円滑にまわしていく潤滑油、みたいな感じです。
──大学を中退された後は、何をされていたんでしょうか?
飲食店でのアルバイトを経て、正社員として札幌の不動産会社へ就職をしました。自分の家族とも相続などの話をしたことがあったので、不動産や法律について知っておけば損はないな、と考えて就職先を決めました。
──どれくらいの期間働いたんですか?
3年間くらいです。6 人ほどの小さな会社に営業として入社しました。賃貸ではなく売買をメインにしていたので、物件を仕入れるためにオーナーさんに、片っ端から電話をかけるような業務もしていました。
──『全く接点のないお客様へのお電話』ですね。
はい。1日50件かけることもあったと思います。で、やっぱりその業務は好きではなくて(笑)それで社長にそれを相談したところ、賃貸物件の管理業務や新規事業の仕事が増えてきているからということで、そちらをメインに仕事をしていくことになりました。
──賃貸の管理業務では、具体的にはどんな仕事をしたんでしょうか?
入居者からの問い合わせ対応、家賃などの請求書作成、オーナーさんへの入金レポート送付など。退去後の部屋の修繕をまかせてもらって、壁紙などの内装を私が決めたこともあります。
──そんなこともあるんですね!
あとは、会社の社長が新しいことに取り組むことが好きで、管理業務に関連した新規事業もやっていました。例えば、オーナーさんが小樽に持ってる広い倉庫を改装して、ゲストハウスを作ろう!というような事業です。
──小樽のゲストハウス!なんだかワクワクします!
企画を社長がして私も設計に携わって、基本的には全部自分たちで作り上げました。ゲストハウスなのでベッドが必要だったんですが、それも知り合いの工具屋さんのところへ行って、一緒に作りました。夏だったのですごく暑い中で汗を掻きながらの作業でしたが、とてもいい経験だったと思います。
■自分のパフォーマンスによってチーム全体を向上させる仕事がしたい。
──そしてEFAへ入社されるのですが、前職は北海道でEFAは東京ですよね。どのような変化があったのでしょうか。
もともと大学のときに東京に出たいと思っていたのですが、札幌の国立大学に受かったので、札幌に残りました。それからも東京に行きたいという気持ちをずっと持っていたので、不動産会社で丸3年働いたタイミングで、東京に行くことに決めたんです。
──東京での仕事はどのように探しましたか?
不動産会社をやめて、半年くらいは休んだり調べたりする期間を取りました。不動産会社のときは『まずは正社員で働いてみよう』という考えでの就職だったので、『本当に自分がやってみたい仕事ってなんだろう』ということを真剣に考える時間が欲しかったんです。
──考えてみて、どうでしたか?
職種に関しての希望はあまり出てこなくて、自分自身の成績を上げるより、周りの人のためになることで頑張りたいという思いが強くありました。それまでも人と関わることは好きだと思っていたので、例えばホテルマンなども向いてるのかなと考えたこともありました。
──確かに、ホテルマンな宮下さんも想像できます!
でも『人と関わるのが好き』というのを掘り下げてみると、見ず知らずの人と複数関わることをメインに仕事をするよりも、顔や性格を知った仲間と関係を築き、自分のパフォーマンスによってチーム全体を向上させる仕事の方が自分を活かせると気付きました。なので、顔が分かる範囲で50人くらいまでのバックオフィス、そんなイメージで会社を探すことにしました。
──EFAの求人はどのように見つけましたか?
私はエージェントなどを利用していなかったので、マイナビ等の求人サイトでいろんな求人票を見ながら、いいなと思う会社にポチポチ応募をしていました。EFAもその中のひとつで、何社か書類は通過しましたが、面接をしたのは結局EFAだけでした。
──選考で印象に残ってることはありますか?
一次面接と二次面接はオンラインでした。一次面接では基本的なことや、PCスキルについて聞かれたことを覚えています。二次面接は面接というより面談という感じで、こちらが気になることを聞く時間という感じでした。
──何を聞きましたか?
二次面接の時はなんでも聞ける雰囲気だったので、髪色のこととか聞いちゃいました(笑)その頃から割と明るい髪色をしていたので「この髪色で大丈夫ですか?」と聞いたら、「そういえば、髪の毛染めてる人ってうちいないね」って話になって(笑)EFAでは髪型や服装などは業務に支障がないか自分で考えているので特に基準はなく、それくらいなら大丈夫という回答をもらえて安心しました。
──最終面接はオンラインではなく、対面でおこなわれたんですよね。
はい。前日に北海道から東京にきて、事前に会社の場所を確認しました。それまでオンラインでやりとりをしていたので、直接会ったときに「思ったより背が大きいね」って驚かれたのを覚えています(笑)
──緊張しましたか?
そりゃあ緊張してましたよ。ただ、最終面接で代表の亀元さんと初めて会ったんですが、とても喋り方が優しかったので身構えることなく話せた気がします。最終面接から数日で採用連絡がきて、札幌から東京に引っ越す準備に取り掛かりました。
──東京に来る不安はありましたか?
不安よりも東京で働きたい気持ちの方が強かったです。実は父親が単身赴任で東京にいたので、環境も仕事も変わるから最初は一緒に住んだ方がいいんじゃないかということで、引っ越し先も決まっていたので、特に不安はありませんでした。
■仕事の進め方に戸惑ったことも・・・会話を繰り返し学ぶことで、ロジカルな考え方が養われました!
──入社後にギャップを感じたことはありますか?
管理部として入社し、もともと何でも屋をするイメージだったので、業務内容についてのギャップを感じたことはなかったです。これという業務があるというより、手の足りていないところに順番に取り組んでいくという感じでした。
──ゴミの捨て方のパワーポイントなど、宮下さんが作成したものを今でも活用させてもらっています!
そんなものも作りましたっけ・・記憶があんまりないんです(笑)今ぱっと思い出せるもので言えば、アクリル板の設置、4階の休憩スペースの机や椅子など選定して配置なども決めたりしました。
──業務内容以外にギャップを感じたことはありますか?
ギャップというか、仕事の進め方で戸惑ったことはありました。例えば休憩スペースをつくるといったときも、什器のメーカーは自分が選んでいいのか?配置は自分が決めていいのか?など、どこまで自分の裁量で任されているのかがわからなくて、その都度迷っていました。今思えば不明瞭だと感じて戸惑っている段階で、自分から相談しにいかないといけないとわかるんですが。
──その戸惑いを、どのように乗り越えてきたのでしょうか?
仕事を進めるときの相談や確認は、金子さん(取締役COO/営業部・管理部マネージャー)にしていたのですが、その会話の中で自分がロジカルな話し方が出来ていないと気付きました。金子さんは目的にフォーカスして端的に話をするので、その感じに慣れるまでに少し時間がかかりましたが・・(笑)金子さんが会社のことをすごく思ってることが伝わってきたので、私もバリューにあるような論点にフォーカスした議論をしっかり出来るようになりたいと、とにかく会話をして学びました。
──すごくわかります!!私は今その最中です。
そうやってやりとりを繰り返す中で、『自分はこういうことを求められているんだろう』『こういう伝え方をすれ ばGOサインを出してくれそうだ』というのが、なんとなくですが少しずつわかってきました。
──金子さんと宮下さんの会話を聞いてると、一回でやり取りが終えられるようなコミュニケーションをしているなと思います。
ロジカルな考え方はとても養われました。感情というのは受け取る側次第で変わるものなので、感情の部分を取り除き自分は何にたどり着きたいのかを明確にする。その上で、この人とそこにたどり着くには、どういう伝え方・やり方をしたらいいのかなと考えるようになりました。

宮下さんが選んだデスクとチェアが置かれた休憩スペース。
■営業部へ異動。分析量がいっきに増えた”やばい時期”を「やるしかない!」で乗り越えました。
──営業部へはいつ異動されたんでしょうか?
入社して1年後くらいです。金子さんから「インサイドセールスを増員するという話になっていて、宮下さんが向いてると思ったんだけどやってみる気持ちはある?」と打診されました。
──そのときの気持ちは?
WEB適性検査で出た数値をみて適性があるということで打診されたし、向いてるかもって言われて断る選択肢は無かったので、それならやりますという感じでした。
──営業部になることに抵抗はなかったですか?
なかったんですよ。入社したときのマインドと同じで『自分のパフォーマンスによってチーム全体を向上させる仕事』であれば、部署や業務内容にはこだわらない。だからラボに行けってなったら「はい」って言っちゃうと思います(笑)
──異動してみてどうでしたか?
ジェンダーで語るのは良くないかもしれませんが、それまでインサイドセールスはずっと女性だけの部署だったので、私が入ることで全体の雰囲気が変わったかなとは思います。
──業務的にはどうでしたか?